再考、患者満足度調査

satisfaction

昨日(5月1日)朝日新聞夕刊一面トップに、「医療満足度、病気で差」との見出しのもとに疾患別の患者満足度調査結果が報じられていた。

調査目的の謎

なぜこの記事が一面トップなのか首をひねるところであるが、「連休の谷間」であれば記事ネタも枯渇しようということか。「受けている医療全般について『満足』と答えた割合は、ぜんそくが64.2%で最も高く、認知症が34.0%で最も低かった。」、「どのような点が満足度に影響するかでは、認知症の患者・家族の場合、『医療機関の情報開示』や『医師との対話』を不満とした割合が他の疾患より高かった。」

記事の最後には「治療による症状の改善がはっきりしている疾患ほど満足度が高くなる傾向が裏付けられた」と調査結果の結論がまとめられてある。この結論自体は常識的なもので特に異論はないが、この記事全体もそしてソースの調査結果も、何か唐突な感じがして違和感が残る。その原因を考えると、この調査が一体何を目的に実施されたのかが、いまいち判然としないからだと思い当たった。そう思い、改めて記事を見直してみると冒頭に「患者の満足度の高い医療について探るため・・・・・」という文言あった。だが、これでもまだ目的根拠は薄弱である。

満足度調査の陥穽

患者満足度調査に限らず、もともと満足度調査一般には曖昧模糊とした不透明さが付随していたと思う。要するに「分かったようで、はっきりしない、わかりにくい」のが満足度調査の宿命とも言える。

「そもそも、顧客満足度調査は無駄金になることが多い。複雑で時間がかかる割には回答率は低く、結果が出ても意味するところは不明瞭で、現場のマネジャーを戸惑わせるだけである。しかも、調査結果について検証や監査が実施されることはめったにない。収益性や成長性との関連性に乏しいため、経営幹部や投資家から注目されないからだ。」(「顧客ロイヤルティを測る究極の質問」F・ライクヘルド、Harvard Business Review 06.2004)

ロイヤルティ・マーケティングの提唱者ライクヘルドは、このように満足度調査の限界を指摘している。近年の傾向を見ると、無理に多変量解析や難解な統計モデルで「分析」した調査パッケージも見かけるが、調査屋のハッタリの類と考えてよいだろう。ライクヘルドなどは「究極の満足度調査は、たった一つの質問で完結する」と述べているくらいだ。

医療界に生き残る「満足度」信仰

さて、冒頭見たように医療界においても「満足度調査」はさまざまに実施されている。大概は、病院やクリニックなど医療機関単位で「満足度」が測定されるケースだが、マーケティングの世界ではライクヘルドのようにその調査限界まで指摘されているのに、医療界ではいまだに「満足度」信仰が強いのか、今月から「患者満足度調査」サイトまでオープンしたようだ。

かく言うわれわれもまた、実は数年前にWeb患者満足度調査パッケージを開発しかけたことがあった。しかし「満足」という概念を、医療においてどう定義できるかをめぐって突き詰めて考えていくと、そこにどうしてもある曖昧なものを排除できず、これを数値化することの妥当性を疑うに至ったのである。ちょうどその時、海外の事例研究で米国ピッカー研究所の患者経験調査のフレームを学び、むしろ海外では満足度調査よりも経験調査が主流に位置することを知り、「満足」を捨てて事実に立脚する「経験(体験)」にフォーカスすることをめざしたのである。しかしそれも結局、放擲してしまったが。

「満足」とは畢竟、人の「主観」に基づくものであり、統計調査とは異質なものである。「満足」はまた、デモグラフィック、文化、ジェンダー、コミュニティなどのファクターで、軸も目盛りも違ってくる。無理に数値化してもその誤差範囲をどのようにして定義できるのか?。

満足度利用方法の実態

現状を見ていると「患者満足度」には二つの使い方があるようだ。一つは医療機関比較評価を数値化した満足度で行うレーティング。いまひとつは病院改善をめざす指標把握として満足度データが使用されるケースである。

まずレーティング指標として満足度が使われるケースだが、「患者が選ぶ・・・」などのランキング本やサイトがいくつか出回っている。これは日本では、アウトカムデータなど医療評価情報がほとんど公開されていない現状を背景として出てきていると思う。生活者側の医療評価情報に対する飢餓感の表れといえるかもしれない。

だが、米国の状況を見てもわかるが、これら「満足度」のみを根拠にしたランキング情報サービスはいずれ消えていくだろう。現在、米国で「患者満足度」だけに焦点を置いた医療機関評価サービスはJDパワー社くらいである。それも「ランキング」という見せ方をやめている。ヘルスグレーズをはじめとする医療評価サービスでは、アウトカム・データが主要な評価指標となっており、満足度を評価指標にする場合もあるが、その場合は多くの指標のうちの一指標という位置づけになっている。

次に医療改善のために「満足度」を指標とする場合であるが、これはもう時代遅れであることがはっきりしている。患者視点での医療改善の重要性は変わっていないが、今日ではこのような改善指標として、先にあげた「患者経験(体験)」調査データが完全に取って代わっている。有名どころでは米国政府の医療評価国家プロジェクトHCAHPS、英国CHIによる全英トラスト医療パフォーマンス測定調査など、海外事例をあげるときりがない。

これは医療現場の改善を目指す場合、患者の「主観」に聞くよりは、医療現場で患者が体験した「事実」をカウントするほうが具体的な改善指針になるというシンプルな理由による。米国のHCAHPSは守旧派調査ベンダー陣営の激しい抵抗に会い、プロジェクト自体は大幅に遅れているが、基本的には「患者経験(体験)」を指標にすることが決められ、ピッカー陣営の勝利に終わっている。

昨日の朝日の記事といい、最近はじめられたと伝えられる「患者満足度調査」サイトといい、かつて「患者満足と患者体験」を徹底的に考え抜いた当方としては「いまさら」感を伴う唐突感が強いのだ。だが、「患者満足度ビジネス」を一概に否定するつもりもない。新しいアイデアで「満足度」をめぐる閉塞を突破し、患者視点での医療改善の新展開を提示してもらいたい。

三宅 啓  INITIATIVE INC.


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