闘病記の考察1: 書籍とUGC

ノンフィクション作家、柳田邦男氏は、ノンフィクション・ジャンルの一形態として闘病記をとらえ、次のように述べています。

この三十年ほどの間、私はノンフィクション・ジャンルの仕事の一環として、ルポルタージュ、取材記、ドキュメント、紀行、手記、エッセイなどの作品を意識的に収集し、それらの多くに目を通してきた。そして、そうしたノンフィクション・ジャンルの潮流を俯瞰するとともに、そこに投影された現代日本人の意識と社会の実像について分析し、一冊の本『人間の真実』(文藝春秋社、文春文庫)にまとめた。そこではっきりとわかったことの一つは、体験記や手記の類は、戦後長いこと戦争や空襲の体験を記したものが圧倒的に多かったが、1970年代の半ば頃から、戦争体験記の時代が終わり、代わって闘病記の時代が始まったという変化だった。(「元気が出る患者学」柳田邦男 新潮社)

では、戦争体験から闘病体験へと、日本人の体験記や手記のテーマが大きく変わった背景には、どのような原因があるのでしょうか。

戦争による混乱の時代が遠のき、経済の高度成長が達成されたのと並行して、日本人の疾病構造が急速に変わり、結核に代わって、がん、心臓病、脳卒中が「三大疾患」と呼ばれるようになり、さらに高血圧症、糖尿病などの慢性病、生活習慣病が急速に増えていった。健康問題が人々の関心事の一位を占めるようになった。そして、健康や医療に関する啓蒙書が書店の一角を占めるようになるとともに、闘病記の類がどんどん出版されるようになったのだ。(同上)

このような一般的な時代背景があり、闘病記は続々と出版されており、一説によれば現在1000点前後が市場に出回っているとのことです。これら書籍として流通する闘病記に着目し、前項で触れた「闘病記ライブラリー」や、闘病記専門のWeb古書店「パラメディカ」なども出てきています。

これらと並行して、Web上ではさまざまな闘病記が多数出現しています。これまで、どちらかと言えば、Web闘病記に対しては、次のような意見が多かったといえます。

また、インターネットには、個人発信の情報も多い。個別の患者が、自分が経験した病気と治療についてホームページで公開しているのだ。そうした情報は、経験者の発信であるだけに、医療機関側からの情報と違って、身につまされたり、かゆいところに手が届くような情報が含まれているので、そういう点では役に立つ。しかし、中には「どこの病院は駄目だ」とか、「どの薬は効かない」と言った形で、個人的な体験に基づく中傷や即断が含まれている例が少なくない。医師との相性とか、薬の作用の個人差など、医療には個別性のからむ問題が多いので、個人発信の情報には特殊性を考慮して受け止める必要がある。(同上)

一方で「経験者の発信」という側面を評価しながらも、反面、「個人的な体験に基づく中傷や即断が含まれている例が少なくない」ので用心しろと、UGCに対する伝統的エスタブリッシュメント陣営からの、ある種典型的な批判が、ここでもWeb闘病記に対し繰り返されているといえましょう。さらに言えば、ここには何か、「Web闘病記は、書籍として出版される闘病記よりも信用度も価値も低い。」という見方が言外に示されているように思われます。このような論理構造は、UGCなど2.0的な現象に対し、常にエスタブリッシュメント陣営が持ち出してきた(いる)常套句です。

Web上に毎日書かれる闘病記は膨大な分量に達しています。そこに稚拙な表現や、事実と違う誤認、誤解や、「個人的な体験に基づく中傷や即断」が含まれていることは否定できません。しかし、私がおよそ2000件のWeb闘病記を見た印象では、そんなにひどいものは一般の掲示板などに比べ、むしろ少ないと思います。これは「闘病記」というジャンルの、ある種厳粛で真摯なイメージが、自然に作者と表現に真剣さを喚起するためなのか・・・・・・・・。そのあたりは、まだ何ともわかりません。今後、考察していきたいと考えています。

三宅 啓   INITIATIVE INC.


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